安 藤  邦 彦

        <この建物について>

          [経緯]


 このたび家を増築したが、何故、今頃、この歳に
なって、、をまず説明する。

 私の職場は建設会社の設計部だった。中学生の頃
から漠然と将来は建設関係の仕事に就きたいと考え
ていた。「仕事の成果がはっきりと見えること」そ
して「思い通りの自宅を作れそうなこと」この二点
に魅力を感じていた。

 これまで住んできた自宅は30代半ばに設計した
ものだが、当時は給料も安く、土地購入費と自宅建
設費の捻出はとても厳しい状況だった。しかし設計
の仕事をしていながら、建売住宅やハウスメーカー
の家に住むことには抵抗があり、自負心と気概で無
理をした。

 家族3人を守る安全性、最小限のスペース、そして
『ローコスト』、これ以外に何の余地もない設計で、
将来はもう少しゆとりのある設計をしたいと思った。

 あとひとつ理由がある。1995年の阪神・淡路大
震災で縁者、知人が被災した。そのとき彼らを迎えら
れなかった狭い我家に対する悔いが根底にある。建築
設計の仕事をしていながら、余裕の無い自宅はマズか
った。くだけて言えば難民収容施設としての余裕が欲
しい。一人暮らしの母は87歳、第一位の難民候補か
もしれない。いざとなったら困った人間が一緒に生活
できる、ケアー・ハウス的な機能が欲しい。夫婦そろ
って還暦を過ぎ、今更大きなお金を使って建築する意
味があるのか、悩ましいところだが、上の二つの理由
で増築を決意した。


          [計画方針]

 増築建物に必要な機能として、友と交流する「客間」
25年間に溜まったものを収納する「納戸」、将来の
状況変化に対応する「自由度」の三点に絞った。

 基本的には「ケアー・ハウス」として機能するよう、
パブリックスペースとなる食堂を設けその周りに将来、
個室群を配置可能な平面計画とした。設計が本業なの
で、普通の住宅とは「一味違えるぞ」みたいなプライ
ドというか見栄もあり、今回は軽やかに風が吹き抜け
るような「ゆとり空間」をねらった。家の中にハンモ
ックやブランコをぶら下げたり、バトミントンやピン
ポンをしたり、お茶を飲みながら樹木や景色を眺めた
り、すこし大きめのボリュームで音楽を聞いたり、好
きなことを好きなように仲間と楽しめる、そんな空間
を考えた。